2019年02月28日

(古代文明の謎)ローンヘッド・オブ・デヴィオット



月の天体観測


スコットランド東部にあるアバディーンシャー州には、170以上のストーンサークルが集中するといわれている。

この地方のサークルの特徴は、月を中心にした天体観測の痕跡だ。

その多くが南開けた丘陵地に造られ、サークルの南西と南南東の間に横長で水平な石(横石)が共通して置かれている。

この方角は月の軌道と関連が深く、18.6年に一度、月がスコットランドの南の空を低空で移動する(メジャー・スタンドスティルという)とき、まるで飾りもののように、横石の上に月が置かれてみえるのだ。

ローンヘッド・オブ・デヴィオットはその代表的なもので、建造は紀元前3000年ごろ、直径は20メートルほど。

中央にはスペースが設けられ、やはり南には横石が置かれている。

そして、メジャー・スタンドスティルの月の軌道にあうように、正確に設計されているのである。

ちなみに横石の周辺には白い石英の破片が撒かれル事が多い。

これは月の破片を模して造られたものだといわれている。






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(古代文明の謎)スカラ・ブレイ

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概要

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概要


ブリテン島の北東に浮かぶオークニー諸島。

そこにあるメインランド島の海岸で、新石器時代の集落遺跡スカラ・ブレイが発見されたのは1850年冬のことだった。

嵐で砂が吹き飛ばされ、遺跡が姿を現したのだ。

周壁を丁寧な石積みで造られたこの遺跡は、6つの住居と工房が通路でつながっていて、キッチン、収納スペース、石のベッド、さらにゴミ捨て場まで完備していた。

しかも室内には、現代の飾り棚のようなものまであったし、遊び道具とみられるものや用途不明の石の球なども見つかっている。

ここから彼らの生活は、かなり豊だったと想像されるのだ。

それが、あたかもつい昨日まで人が生活をしていたかのように、きわめて良好な状態で発見されたのである。

驚くべきはこれが、紀元前3100年頃から2500年頃まで使われていたということだろう。

つまり、5000年も前の住居なのだ。

なお、住居の地殻には多くの円形墳墓も確認されている。

ここからも彼らの高度な精神生活ぶりがうかがえることだろう。




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(古代文明の謎)カラニッシュ

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概要


概要


スコットランド北西部、ルイス島の丘に残るのがカラニッシュの遺跡だ。

数十億年前の岩石でつくられたともいわれるストーンサークルで、今のところ、建造年代は紀元前1700年前後と推測されている。

サイズは最大直径約13メートル、最少直径約11メートルの楕円形で、さらにほぼ東西南北の方角に向かって石柱が並んでいる。

中でも北には、80メートルの長さで二重の石のアヴェニューが形成されており、それが十字架を連想させるという指摘もあった。

カラニッシュのストーンサークルが古代の天体現象と密接に関係していたことは間違いなく、やや北よりずれた東のアヴェニューなどは、紀元前1700年頃のプレアデス星団の方角にぴたりと一致している、と主張するものもいる。

ちなみに紀元前55年にギリシアの歴史家ディオドロスは、ケルト人が住む地よりさらに北の果てに「ヒュペルボレオイ」という島国があり、そこにはアポロンにささげた巨大な石囲いと円形の神殿がある、と書いている。

これがカラニッシュである可能性も高いのだ。




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(古代文明の謎)タップ・オノス



高熱でガラス化


スコットランド北東部には、考古学的にもいまだ解明できない、ガラス化下砦の遺跡が数多く存在する。

1880年に当地を調査したエドワード・ハミルトンによれば、それらの遺跡の数は、60にも達するという。

たとえば、あのネス湖近く、インヴァネス付近のクレイグ・ファドリグには、ガラス化した砦の石組が残っている。

だが、やはり有名なのは、ライニー付近のタップ・オノスにある先史時代の遺跡だろう。

丘の上にある砦を囲む塁壁の石が、近くで見ると原因不明の高熱で変形している。

溶解し、ガラス化している箇所もある。

タップ・オノスの遺跡は、ロンドンの自然史博物館の化学者チームが調査しているが、ガラス化の原因はわからなかったという。

そして、このような現象が起きるには、セッシ1400度以上の高温が必要だとしたうえで、「事故による火災が原因ではない」と述べている。

それにしても、イギリス北部のスコットランドという限られた地区に、高熱破壊されたと思われるガラス化した砦が集中しているのは、いったいなぜなのだろうか?

なお、これほどの高熱は自然界では通常、隕石の激突か、熱核反応でしかおこりえないという。



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(古代文明の謎)リング・オブ・ブロッガー

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概要

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概要


スコットランド北東の沖合には、オークニー諸島がある。

大小70ほどの島で構成され、新石器時代のストーンサークルや住居跡が数多く残る遺跡の宝庫だ。

中でもメインランドト呼ばれる島の中央部にあるリング・オブ・ブロッガーは、2つの湖にはさまれた場所にあり、ヨーロッパで最も北に位置することで知られるストーンサークルである。

紀元前3000年頃に造られたと推定され、天体観測所、もしくは祭祀場として使われたと推定されている。

小高い丘の上に立つ高さ2~4メートルの巨石の数は27本。

それらが直径104メートルのサークル状に配置されている。

巨石の形はまちまちだが、高さに比べると意外に薄いので、まるで剃刀の刃が立っているようなありさまだ。

ちなみに、建造当初の巨石の数は、60本あったという。

なお、リング・オブ・ブロッガーの建造者は、はっきりとはわかっていないが、現在のところ、5世紀ごろまでヨーロッパに定住していたケルト民族が建造していたとする説が有力だ。

だが、オークニー諸島は当時、ヴァイキングの人々が住んでいたという説もあり、真の建造者を知るには、まだ日をまたねばならないようだ。





posted by くろ at 17:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(古代文明の謎)スケリッグ・マイケル

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概要


概要


1996年には世界遺産にも登録されたスケリッグ・マイケルは、アイルランド西部のケリー州沖合16キロの海中に浮かぶ絶海の孤島だ。

面積はわずか0.18平方キロしかなく、周囲も急な断崖で囲まれている。

まさに小山といっていい標高240メートルのこの島に、西暦588年、キリスト教の修道院が建てられた。

島名の「スケリッグ・マイケル」はアイルランド語で「ミカエルの岩」という意味であり、この語彙に由来するものなのだ。

島の建造物は石を細かく積み上げて造られ、僧侶たちも崖の下の石積みの小屋で暮らしていたという。

西暦1100年頃には教会そのものが放棄され、島は無人島となったが、絶海の孤島という地理的条件もあってほとんで荒らされることなく長く保存されてきた。

16世紀には、再びアイルランドから巡礼者が訪れるようになり、島は復活。

現在では観光客も増加している。

が、そのために島が痛むので、最近では渡航制限も検討されているという。




posted by くろ at 16:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(古代文明の謎)ニューグレンジ


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概要


上空から見るとハートに似た形をした、巨大ドーム形石造遺跡ニューグレンジは、アイルランド東部、ミースの小高い丘の上にある。

高さ約11メートル、直径約90メートル、使われた石の総重量約20万トン。

エジプトのピラミッドストーンヘンジより、さらに古い紀元前3200年頃に造られたという。

1699年に入口と長い通路、その奥にある部屋が発見されるまで、この巨大遺跡は、5000年近くも土にうもれていたのだ。

遺跡の周囲には、12個の石が円形に配されているが、これはかつては35個あったストーンサークルの残骸だ。

その地下には妖精のすみかがあると考えられ、土地の人は遺跡を「妖精の丘」などと呼んだという。

また、ケルト神話において、女神と英雄の恋物語の舞台にもなっている。

なお、このニューグレンジが建造されたころ、アイルランドにはまだ統一国家がなかった。

これほどの大規模な建造物を完成させるには、かなり力のある指導者の存在が必須だったと思われるが、もちろんそういった人物を示唆するような記録は、何一つ残っていない。


天体観測説


ニューグレンジは、いったい何のために造られたものなのだろうか?

内部のいたるところに飾られた渦巻形や波形の彫刻や、石の容器があることから、生贄をささげた神殿のようなものだという説や、人骨が発見されたため墓所だという説もあった。

だが、1962年のある研究者による調査で、天体と関係があるらしいことがわかってきた。

というのも、ニューグレンジは毎年、最も日の短くなる冬至の日のみ、入口の上に開けられた1メートル四方の穴から差し込んだ太陽光が、17分間だけ、一番奥の部屋に届くように設計されているのだ。

これは明らかに人工的なものだ、こういった仕掛けは付近の他の遺跡でも確認されている。

そのため、天体観測用の施設だという説や、太陽崇拝の宗教的儀式を目的にした施設だという説も登場している。

ケルト人たちがアイルランドにやってくるはるか以前に造られたにも関わらず、建造者の設計力と天文学、数学に関する豊富な知識は、驚くほど高度なものだったのだ。

ちなみに、少しずつずらしながら積み上げられた石の屋根は、今なお雨漏り一つしないという。







posted by くろ at 16:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(古代文明の謎)グラストンベリー


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概要


イギリス南西部、サマーセット州にあるグラストンベリーは、近年、パワースポットして人気が高い。

それは、ここがレイラインの集積地であると同時に、古代からの聖地であり、数多くの神話に包まれた伝説の地でもあることによる。

その聖地の中心にあるのが小高い丘、グラストンベリー・トア(小高い丘のこと)だ。

海抜145メートルのこの丘は、平坦な丘陵地にあるためひときわ巨大に見える。

そう、まるで島のごとく、なのだ。


伝説の数々


イギリスには「アヴァロン」と呼ばれる島の伝説がある。

これはイギリスのどこかにある楽園で、美しいりんごの実る恵みの島だという。

このりんごの園のイメージがキリスト教のアダムとイブの楽園とつながっていることはいうまでもない。

そしてアヴァロンは、イエス・キリストがイギリスを訪れた聖地だ、というのだ。

そのアヴァロン島こそ、このグラストンベリー・トアではないかというのである。

なお、アヴァロンは、イギリス最初のキリスト教会がつくられた地でもある。

そしてそのとき、イエスの叔父であるヨセフがやってきて、磔刑になったイエスの血を受けた杯=聖杯を、聖なる赤い壁のところに隠したとされる。

これがグラストンベリーの聖杯伝説だ。

アヴァロン=グラストンベリー・トアはまた、イギリスの国民的物語であるアーサー王伝説とも密接につながっている。

アーサー王は5~6世紀に実在したといわれる王だが、その生涯は謎に包まれており、伝説としてしか残されていない。

その伝説のなかで彼は、「引き抜いた者は王となる」聖剣エクスカリバーを手に、魔法使いマーリンの助けを得ながら英雄になる。

しかし、最終的には深手を負い、小船でアヴァロン島へと去って行ったと説明される。

つまりグラストンベリー・トアは、伝説のアーサー王が永遠に眠る場所でもあるわけだ。

後には、グラストンベリー修道院長らが、5メートルの地中から「ここアヴァロンの島にアーサー王眠る」と刻印された巨大な棺と2体の骸骨を発見したという話もある。

そして1278年に同修道院の主祭壇前に再埋葬されたというが、果たしてそれが本当にアーサー王の遺体なのか、調査は行われてはいない。




posted by くろ at 16:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(古代文明の謎)レイライン



直線上に続く遺跡!?


「土地の持つパワー」といえば、すぐにある言葉を連想されることだろう。

そう、レイラインだ。

1921年のこと。

イギリスのビール醸造業者で考古学マニアでもあったアルフレッド・ワトキンスは、故郷であるヘレフォードシャーの丘陵を馬で旅していた時、突如、見慣れた風景の中に何本もの直線が交差しているヴィジョンを見た。

後に地図で確認した彼は驚愕した。

先史時代の遺跡、土塁、立石、石塚、地上絵、さらには古い教会などが、どういうわけか遥かな距離にわたって永延と続く、綺麗な直線上にならんでいたのだ。

この直線路に沿う地名にはなぜか「レイ」で終わる語尾を持つものがおおかった。

そこで彼はこの直線路を「レイ・ライン」と名付けた。

当初、彼はこれを古代の交易路だったのではないか、と考えた。

さまざまな地形を持つ広大な原野を誤りなく進むため、遺跡などの目印が設けられたのではないか。

だが実際には、交易路説には無理があった。

というのも、道は断崖絶壁や湖、沼地なども貫いており、人間が通行するには不向きであるということが立証されたのだ。

地球エネルギー


このラインはなんなのか。

1960年代になって、謎の直線路に対する新たな見方が登場した。

やはり考古学愛好家であった弁護士ガイ・アンダーウッドが、先史時代の遺跡の血かには水脈が存在していることを確認。

しかも同時に、そこには水脈以外の「何らかの流れ」も存在していることが明らかになった。

アンダーウッドはこれを地球内部に潜む磁力のようなものと考えた。

この力について、彼はいう。

「地球の内部で発生し、波動を伴い、大きな浸透力を持ち、地球の表面にネットワークを形成し、ある種の樹木や植物の発芽を生長に影響を与え、動物によって感知・利用され、動物の身体の両面に作用し、螺旋状のパターンを描くようである」

彼の見解が事実なら、古代遺跡が描く直線路は、大地を流れる何らかのエネルギーの通路であった可能性が高い。

そしてその通路上の要所要所に配置された遺跡は、このエネルギーを教化あるいは制御するための特物の装置であったのではないか、と考えられたのだ。

事実、アンダーウッドは、実際にストーンヘンジにおいてダウジングによる計測を行い、水脈と未知なるエネルギーが強大な螺旋を形成している。

つまり、ストーンヘンジの位置は、地球エネルギーの流出ポイントそのものだったのだ。

おそらく古代の人々は、現代人よりもはるかに容易に、そのエネルギーの存在を感知できたのだろう。

ゆえに彼らはこの場所を聖地とし、ストーンヘンジのような壮大な装置までつくりあげたのではないだろうか。






posted by くろ at 14:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(古代文明の謎)デヴィルズ・アローズ|悪魔が投げた矢


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1,概要


ブリテン島のほぼ中央、ヨークシャー州北部ボローブリッジにそそり立つ巨大な3柱の巨石、これが「デヴィルズ・アローズ」(悪魔の矢)だ。

もっとも高い岩で7メートル弱、重さもそれぞれが40トン以上。

矢という名にふさわしく、上部に向かって細くなる岩は、どこか金属的な質感と威圧感、そして独特な美しさを誇示しているかのようである。


2,名前の由来


デヴィルズ・アローという名前には、こんな由来がある。

かつてこの地に住んでいたドルイド人とグラストンベリーからやってきたキリスト教伝道者たちが、宗教論争をはじめた。

そこで国を治めていた王は、もしも伝道者たちが勝てば、この国を改宗させる、と誓った。

ところが一人のドルイド僧があまりにも雄弁で、伝道者たちはたちまち劣性にたたされた。

実はこの僧は悪魔だったのだ。

伝道者はやがてその正体を見抜き、論争から追放。

悪魔は腹いせに国を滅ぼそうと矢を投げつけたのだが、それが途中で墜落したのがこの岩だというのである。

ちなみに16世紀初頭までは、デヴィルズ・アローは4つあったが、ひとつは宝探しの為に破壊されたという。


3,レイラインの起点


デヴィルズ・アローの本質は、大地の聖なるエネルギー=レイラインにある。

レイラインというのは20席初頭、市議リスのアルフレッド・アトキンズによって提出された概念で、古代の遺跡や教会などの聖地をまっすぐに貫く大地のエネルギーラインのことだ。

デヴィルズ・アローは、このレイラインの起点になっている、というのである。

確かに地図をみると、デヴィルズ・アローを起点に北北西にふたつのヘンジとマウンドを通る8キロの直線が、さらに北西には4つのヘンジを通過する17キロの直線が確認される。

これらは全て古代に人工的につくられたものだから、デヴィルズ・アローと遺跡群は、意図的に配置された可能性が高い。

ちなみに数年前には、デヴィルズ・アローが立つ麦畑に突然、ミステリー・サークルが出現。

UFO現象とのかかわりについても新たな論議を呼んでいる。






posted by くろ at 13:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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