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    <title>くろの古代文明の謎</title>
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    <description>宇宙にある全ての古代遺跡を書いていこうと思います。</description>
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    <itunes:author>くろ</itunes:author>
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      <title>（古代文明の謎）赤ピラミッド｜完全な真正ピラミッドの誕生</title>
      <pubDate>Fri, 05 Apr 2019 08:22:53 +0900</pubDate>
            <description>目次1,概要2,構造1,概要座標29度48分30秒東経31度12分21秒屈折ピラミッドを築いたスネフェル王が、ダハシュールに造ったもう1基のピラミッドで、現在も美しい形状をとどめ、屈折ピラミッドとともにダハシュールを代表するピラミッドといえる。三大ピラミッドなどとともにメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。高さ104.4メートル、底辺218.5×221.5メートル、傾斜角度は43度19分。かつては白い石灰岩で美しく覆われていたが、大部分が持ち去られ、現在は赤..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">1,概要</a><a href="#2">2,構造</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_28229.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_28229-thumbnail2.jpg" alt="200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_(2).jpg" width="200" height="267" border="0" /></a>
1,概要
座標29度48分30秒東経31度12分21秒
屈折ピラミッドを築いたスネフェル王が、ダハシュールに造ったもう1基のピラミッドで、現在も美しい形状をとどめ、屈折ピラミッドとともにダハシュールを代表するピラミッドといえる。
<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank">三大ピラミッド</a>などとともにメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。
高さ104.4メートル、底辺218.5×221.5メートル、傾斜角度は43度19分。
かつては白い石灰岩で美しく覆われていたが、大部分が持ち去られ、現在は赤みを帯びた石灰岩がむき出しになっており、「赤ピラミッド」の名もそこからきている。
スネルフェル王が先に建設した屈折ピラミッドの約1キロメートル北方に建てられ、初めて直線のラインを持ち、壁面が二等辺三角形になっている方錐形の真正ピラミッドである。
高さはクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドに次いで3番目に高い。
屈折ピラミッドに対し、「スネフェルの北のピラミッド」とも呼ばれる。
一人の王が複数のピラミッドを築いた例は他にもあるが、同じ場所に、これほど大規模なピラミッドを2基も建設した王は他になく、その理由ははっきりしていない。
ちなみに、スネフェル王はこの2基意外にも、メイドゥムの<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988863.html" target="_blank">崩れピラミッド</a>を建造しており、他にもスネフェル王のものと考えられている小さなピラミッドも存在する。
この赤ピラミッドは屈折ピラミッドのあとに築かれたもので、屈折ピラミッドでの失敗をふまえて、なだらかに設計したとされる傾斜角は、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988948.html" target="_blank">屈折ピラミッド</a>の上部と同じ43度22分。
古代エジプトにおいて、ようやく迎えた完全な真正ピラミッドの誕生であった。
底辺の長さはギザの<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464942345.html" target="_blank">第2ピラミッド</a>よりも長いが、傾斜が緩やかなため、全体的に規模が小さい印象を与える。
工事はスネフェルの治世30年に始まり、ピラミッドの落書きより、建設に10年7か月を要したと考えられる。

2,構造
高さは約104メートルあり、エジプトのピラミッドとしては3番目に高い。
傾斜は43度19分と非常に緩く、底辺は220メートルもある。
エジプトにある同規模のピラミッドと比べると、つぶれたような外観になっている。
また現在の外観を構成している岩は、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank">三大ピラミッド</a>で使われているものよりも小さい。
北壁の地面より28メートルのところに入口があり、中に入ることができる。
奥の部屋に至る通路と、その途中に3つの部屋のような空間が存在する。
内部に装飾は一切なく、巨大な岩を組んで作成されている。
内部に埋葬跡らしきものはみつかっていない。

<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#1"><span style="color: #0099ff;"><ins>1,概要</ins></span></a></span></strong><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#2"><span style="color: #0099ff;"><ins>2,構造</ins></span></a></span></strong></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_28229.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_28229-thumbnail2.jpg" alt="200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_(2).jpg" width="200" height="267" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/200px-Snofrus_Red_Pyramid_in_Dahshur_28229-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">1,概要</h3><br />座標<span style="color:#ff9900;">29度48分30秒東経31度12分21秒</span><br /><div>屈折ピラミッドを築いたスネフェル王が、ダハシュールに造ったもう1基のピラミッドで、現在も美しい形状をとどめ、屈折ピラミッドとともにダハシュールを代表するピラミッドといえる。</div><br /><span style="color:#0099ff;"><a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins>三大ピラミッド</ins></span></strong></ins></a></span>などとともにメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。<br /><div>高さ<span style="color:#ff9900;">104.4メートル</span>、底辺<span style="color:#ff9900;">218.5×221.5メートル</span>、傾斜角度は<span style="color:#ff9900;">43度19分</span>。<br />かつては白い石灰岩で美しく覆われていたが、大部分が持ち去られ、現在は赤みを帯びた石灰岩がむき出しになっており、「赤ピラミッド」の名もそこからきている。</div><br /><div>スネルフェル王が先に建設した屈折ピラミッドの約1キロメートル北方に建てられ、初めて直線のラインを持ち、壁面が二等辺三角形になっている方錐形の真正ピラミッドである。<br />高さはクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドに次いで3番目に高い。<br />屈折ピラミッドに対し、「スネフェルの北のピラミッド」とも呼ばれる。</div><br /><div>一人の王が複数のピラミッドを築いた例は他にもあるが、同じ場所に、これほど大規模なピラミッドを2基も建設した王は他になく、その理由ははっきりしていない。</div><br /><div>ちなみに、スネフェル王はこの2基意外にも、メイドゥムの<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988863.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins>崩れピラミッド</ins></span></strong></ins></span></a>を建造しており、他にもスネフェル王のものと考えられている小さなピラミッドも存在する。</div><br /><div>この赤ピラミッドは屈折ピラミッドのあとに築かれたもので、屈折ピラミッドでの失敗をふまえて、なだらかに設計したとされる傾斜角は、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988948.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins>屈折ピラミッド</ins></span></strong></ins></span></a>の上部と同じ<span style="color:#ff9900;">43度22分</span>。</div><br /><div>古代エジプトにおいて、ようやく迎えた完全な真正ピラミッドの誕生であった。</div><br /><div>底辺の長さはギザの<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464942345.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins><strong>第2ピラミッド</strong></ins></span></strong></ins></span></a>よりも長いが、傾斜が緩やかなため、全体的に規模が小さい印象を与える。</div><br />工事はスネフェルの治世30年に始まり、ピラミッドの落書きより、建設に10年7か月を要したと考えられる。<br /><br /><h3 id="2">2,構造</h3><br />高さは約<span style="color:#ff9900;">104メートル</span>あり、エジプトのピラミッドとしては3番目に高い。<br />傾斜は<span style="color:#ff9900;">43度19分</span>と非常に緩く、底辺は<span style="color:#ff9900;">220メートル</span>もある。<br />エジプトにある同規模のピラミッドと比べると、つぶれたような外観になっている。<br />また現在の外観を構成している岩は、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank"><span style="color:#0099ff;"><ins><strong>三大ピラミッド</strong></ins></span></a>で使われているものよりも小さい。<br />北壁の地面より<span style="color:#ff9900;">28メートル</span>のところに入口があり、中に入ることができる。<br />奥の部屋に至る通路と、その途中に3つの部屋のような空間が存在する。<br />内部に装飾は一切なく、巨大な岩を組んで作成されている。<br />内部に埋葬跡らしきものはみつかっていない。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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                </item>
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      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988948.html</link>
      <title>（古代文明の謎）屈折ピラミッド｜途中で傾斜角が変わる特異なピラミッド</title>
      <pubDate>Fri, 05 Apr 2019 08:12:07 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要階段ピラミッドのアルサッカラから10キロメートルほど南下したところに位置するダハシュール。この地にはいくつかピラミッドが確認されているが、中でも特に大きく、また保存状態のよいピラミッドが2基ある。そのうちのひとつがこの屈折ピラミッドだ。古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもある、スネフェル王が築いたピラミッドである。三大ピラミッドなどと供にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。北方に位置する赤ピラミッドに対して、「スネフェルの..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/350px-GD-EG-Saqqara004.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/350px-GD-EG-Saqqara004-thumbnail2.jpg" alt="350px-GD-EG-Saqqara004.jpg" width="350" height="233" border="0" /></a>
概要
<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988680.html" target="_blank">階段ピラミッド</a>のアルサッカラから10キロメートルほど南下したところに位置するダハシュール。
この地にはいくつかピラミッドが確認されているが、中でも特に大きく、また保存状態のよいピラミッドが2基ある。
そのうちのひとつがこの屈折ピラミッドだ。
古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもある、スネフェル王が築いたピラミッドである。
<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank">三大ピラミッド</a>などと供にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。
北方に位置する<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464989111.html" target="_blank">赤ピラミッド</a>に対して、「スネフェルの南のピラミッド」とも呼ばれる。
高さ105メートル、底辺189メートルであるが、このピラミッドの最大の特徴は、その名が示す通り、地上からおよそ3分の2の高さで傾斜角が変わっていること(下部54度27分、上部43度22分）で、当初の計画通りの角度で完成せていれば、エジプト最大のピラミッドとなるはずだった。
設計が変更されたのは、王の急死によって完成を急ぐ必要があったという説や、建設の途中で、先に造ったメイデゥムのピラミッドが崩壊したこともあり、角度をゆるやかにしてピラミッドにかかる重量を軽減したという説など、いくつかの理由が推察されているが、正確なところはわかっていない。
また、入口が北側と西側にあり、それぞれの通路と玄室を持つ二重構造になっていることも他にはない特殊な点で、外観、内部ともに特異な存在のピラミッドである。


<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins>概要</ins></span></a></span></strong></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/350px-GD-EG-Saqqara004.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/350px-GD-EG-Saqqara004-thumbnail2.jpg" alt="350px-GD-EG-Saqqara004.jpg" width="350" height="233" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/350px-GD-EG-Saqqara004-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988680.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0099ff;"><ins><strong>階段ピラミッド</strong></ins></span></a>のアルサッカラから10キロメートルほど南下したところに位置するダハシュール。</div><br /><div>この地にはいくつかピラミッドが確認されているが、中でも特に大きく、また保存状態のよいピラミッドが2基ある。</div><br /><div>そのうちのひとつがこの屈折ピラミッドだ。</div><br /><div>古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもある、スネフェル王が築いたピラミッドである。<br /><a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins>三大ピラミッド</ins></span></strong></ins></span></a>などと供にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。<br />北方に位置する<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464989111.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color: #0099ff;"><ins>赤ピラミッド</ins></span></strong></ins></span></a>に対して、「スネフェルの南のピラミッド」とも呼ばれる。</div><br /><div>高さ<span style="color:#ff9900;">105メートル</span>、底辺<span style="color:#ff9900;">189メートル</span>であるが、このピラミッドの最大の特徴は、その名が示す通り、地上からおよそ3分の2の高さで傾斜角が変わっていること(下部<span style="color:#ff9900;">54度27分</span>、上部<span style="color:#ff9900;">43度22分</span>）で、当初の計画通りの角度で完成せていれば、エジプト最大のピラミッドとなるはずだった。</div><br /><div>設計が変更されたのは、王の急死によって完成を急ぐ必要があったという説や、建設の途中で、先に造ったメイデゥムのピラミッドが崩壊したこともあり、角度をゆるやかにしてピラミッドにかかる重量を軽減したという説など、いくつかの理由が推察されているが、正確なところはわかっていない。</div><br /><div>また、入口が北側と西側にあり、それぞれの通路と玄室を持つ二重構造になっていることも他にはない特殊な点で、外観、内部ともに特異な存在のピラミッドである。</div><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kuronokodaiiseki/464988948</guid>
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        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988863.html</link>
      <title>（古代文明の謎）崩れピラミッド｜崩壊の謎がとけないピラミッド</title>
      <pubDate>Fri, 05 Apr 2019 08:02:46 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要カイロの南約78キロメートルに位置するメイドゥム。その砂漠の中にぽつんと1基だけ存在するのがこの崩れピラミッドだ。その形状は、階段状から正四角錘の真正ピラミッドへと変化する過渡的なものと考えられており、当初は7段の階段ピラミッドとして設計されたものが、のちに8段に変更され、最終的に史上初の真正ピラミッドになったという。構造はフニ王が着工し、息子のスネフェル王が受け継いだとされるが、最初からスネフェル王が計画したという説もある。現在みられる3段の塔のような形状は、真..</description>
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目次<a href="#1">概要</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/DVC01213111.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/DVC01213111-thumbnail2.jpg" alt="DVC01213111.jpg" width="199" height="134" border="0" /></a>
概要
カイロの南約78キロメートルに位置するメイドゥム。
その砂漠の中にぽつんと1基だけ存在するのがこの崩れピラミッドだ。
その形状は、階段状から正四角錘の真正ピラミッドへと変化する過渡的なものと考えられており、当初は7段の階段ピラミッドとして設計されたものが、のちに8段に変更され、最終的に史上初の真正ピラミッドになったという。
構造はフニ王が着工し、息子のスネフェル王が受け継いだとされるが、最初からスネフェル王が計画したという説もある。
現在みられる3段の塔のような形状は、真正ピラミッドとして建造したものの、何らかの原因で外壁が崩壊し、核となる部分が残ったものと見られている。
しかし、露出している塔部分の壁面が研磨されていること、崩れて積もったにしては周囲のがれきが不自然に細かいことなどから、単純な崩壊と見るには疑問が残る。
また、崩壊の原因についても、設計された勾配が急すぎた、土台部分に問題があったなど、さまざまな理由が考えられている。
後代に岩壁が石材として持ち去られた結果、現在の形になっという考えもあるが、それも先の疑問を説明するには十分ではない。
謎の多いピラミッドである。




<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins>概要</ins></span></a></span></strong></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/DVC01213111.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/DVC01213111-thumbnail2.jpg" alt="DVC01213111.jpg" width="199" height="134" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/DVC01213111-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>カイロの南約78キロメートルに位置するメイドゥム。</div><br /><div>その砂漠の中にぽつんと1基だけ存在するのがこの崩れピラミッドだ。</div><br /><div>その形状は、階段状から正四角錘の真正ピラミッドへと変化する過渡的なものと考えられており、当初は7段の階段ピラミッドとして設計されたものが、のちに8段に変更され、最終的に史上初の真正ピラミッドになったという。</div><br /><div>構造はフニ王が着工し、息子のスネフェル王が受け継いだとされるが、最初からスネフェル王が計画したという説もある。</div><br /><div>現在みられる3段の塔のような形状は、真正ピラミッドとして建造したものの、何らかの原因で外壁が崩壊し、核となる部分が残ったものと見られている。</div><br /><div>しかし、露出している塔部分の壁面が研磨されていること、崩れて積もったにしては周囲のがれきが不自然に細かいことなどから、単純な崩壊と見るには疑問が残る。</div><br /><div>また、崩壊の原因についても、設計された勾配が急すぎた、土台部分に問題があったなど、さまざまな理由が考えられている。</div><br /><div>後代に岩壁が石材として持ち去られた結果、現在の形になっという考えもあるが、それも先の疑問を説明するには十分ではない。</div><br /><div>謎の多いピラミッドである。</div><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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                </item>
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      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464988680.html</link>
      <title>（古代文明の謎）階段ピラミッド｜エジプトで初めてのピラミッド</title>
      <pubDate>Fri, 05 Apr 2019 07:48:12 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要カイロから南西およそ20キロメートルに位置するサッカラは、第1王朝のころから王家の墓地として利用されてきた土地で、ピラミッドだけでも11基あることが確認されており、その数は他のどの地域よりも多い。階段ピラミッドは、第3王朝のジェセル王がイムホテプに設計させた、エジプト史上初のピラミッドである。それ以前、応募はアラビア語で「ベンチ」を意味するマスタバというスタイルで造られていた。階段ピラミッドも最初はマスタバとして築かれたが、その後規模を拡張し、マスタバを重ねて4段..</description>
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目次<a href="#1">概要</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/02776_1_m.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/02776_1_m-thumbnail2.jpg" alt="02776_1_m.jpg" width="280" height="210" border="0" /></a>
概要
カイロから南西およそ20キロメートルに位置するサッカラは、第1王朝のころから王家の墓地として利用されてきた土地で、ピラミッドだけでも11基あることが確認されており、その数は他のどの地域よりも多い。
階段ピラミッドは、第3王朝のジェセル王がイムホテプに設計させた、エジプト史上初のピラミッドである。
それ以前、応募はアラビア語で「ベンチ」を意味するマスタバというスタイルで造られていた。
階段ピラミッドも最初はマスタバとして築かれたが、その後規模を拡張し、マスタバを重ねて4段の階段状に、さらに2段重ねて、最終的には6段のピラミッドとなった。
イムホテプは、階段状にすることで、象徴的に王の魂が天に昇れるようにしたのではないかと考えられている。
ここはエジプト最古の「ピラミッド・コンプレックス」としても重要な場所だ。
階段ピラミッドもピラミッド・コンプレックスを構成する要素のひとつで、15ヘクタールもの敷地はぐるりと周壁によって囲まれ、「セド祭」(王位の更新を記念する儀式）を催すための庭を有している。
他にも、左右対称の葬祭神殿や複雑な内部構造を持つなど、マスタバからピラミッドと神殿の複合体への劇的に変化した様子を見る事が出来る、興味深い遺跡だ。




<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#1"><span style="color: #0000ff;"><ins>概要</ins></span></a></span></strong></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/02776_1_m.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/02776_1_m-thumbnail2.jpg" alt="02776_1_m.jpg" width="280" height="210" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/02776_1_m-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>カイロから南西およそ20キロメートルに位置するサッカラは、第1王朝のころから王家の墓地として利用されてきた土地で、ピラミッドだけでも11基あることが確認されており、その数は他のどの地域よりも多い。</div><br /><div>階段ピラミッドは、第3王朝のジェセル王がイムホテプに設計させた、エジプト史上初のピラミッドである。</div><br /><div>それ以前、応募はアラビア語で「ベンチ」を意味するマスタバというスタイルで造られていた。</div><br /><div>階段ピラミッドも最初はマスタバとして築かれたが、その後規模を拡張し、マスタバを重ねて4段の階段状に、さらに2段重ねて、最終的には6段のピラミッドとなった。</div><br /><div>イムホテプは、階段状にすることで、象徴的に王の魂が天に昇れるようにしたのではないかと考えられている。</div><br /><div>ここはエジプト最古の「ピラミッド・コンプレックス」としても重要な場所だ。</div><br /><div>階段ピラミッドもピラミッド・コンプレックスを構成する要素のひとつで、15ヘクタールもの敷地はぐるりと周壁によって囲まれ、「セド祭」(王位の更新を記念する儀式）を催すための庭を有している。</div><br /><div>他にも、左右対称の葬祭神殿や複雑な内部構造を持つなど、マスタバからピラミッドと神殿の複合体への劇的に変化した様子を見る事が出来る、興味深い遺跡だ。</div><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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                </item>
        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464958900.html</link>
      <title>（古代文明の謎）第3ピラミッド</title>
      <pubDate>Wed, 03 Apr 2019 06:38:31 +0900</pubDate>
            <description>目次概要悲劇概要ギザの最も南寄りにある第3ピラミッド。カフラー王の息子で、王位を継いだメンカウラー王が築いたとされるピラミッドで、ギザの三大ピラミッドの中では一番小さい。しかし、小規模ながら美しい真正ピラミッドのシルエットを保っており、ピラミッドの南にある3基の衛生ピラミッドも、比較的原型をとどめている。悲劇1837年、第3ピラミッドはある悲劇に見舞われた。その年、ギザで数々の発見をしたイギリス陸軍大佐のリチャード・ハワード・ヴァイスが、第3ピラミッドの入口を探り当てて中に入..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a><a href="#2">悲劇</a>

概要
ギザの最も南寄りにある第3ピラミッド。
カフラー王の息子で、王位を継いだメンカウラー王が築いたとされるピラミッドで、ギザの三大ピラミッドの中では一番小さい。
しかし、小規模ながら美しい真正ピラミッドのシルエットを保っており、ピラミッドの南にある3基の衛生ピラミッドも、比較的原型をとどめている。

悲劇
1837年、第3ピラミッドはある悲劇に見舞われた。
その年、ギザで数々の発見をしたイギリス陸軍大佐のリチャード・ハワード・ヴァイスが、第3ピラミッドの入口を探り当てて中に入ったところ、玄室の内部に玄武岩製の石棺と、王の遺体の一部と思われるミイラを発見した。
それまで、ピラミッド内で王のミイラが発見された前例はなかったため、その後のピラミッド研究に大いに役立つ世紀の大発見であった。
ミイラを含めた出土品は、調査のために大英博物館へ運ぶことになった。
ヴァイスは協力者たちとともに石棺や出土物を持ち出し、船に積み込んだが、不運なことに途中で嵐に遭遇し、輸送船は積荷もろとも地中海に沈んでしまったのだ。
この事故によって、第3ピラミッドの謎を解明する手がかりは永遠に失われてしまったのである。




<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins>概要</ins></span></a><br /><a href="#2"><span style="color:#0000ff;"><ins>悲劇</ins></span></a></div><br /><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>ギザの最も南寄りにある第3ピラミッド。</div><br /><div>カフラー王の息子で、王位を継いだメンカウラー王が築いたとされるピラミッドで、ギザの三大ピラミッドの中では一番小さい。</div><br /><div>しかし、小規模ながら美しい真正ピラミッドのシルエットを保っており、ピラミッドの南にある3基の衛生ピラミッドも、比較的原型をとどめている。</div><br /><br /><h3 id="2">悲劇</h3><br /><div>1837年、第3ピラミッドはある悲劇に見舞われた。</div><br /><div>その年、ギザで数々の発見をしたイギリス陸軍大佐のリチャード・ハワード・ヴァイスが、第3ピラミッドの入口を探り当てて中に入ったところ、玄室の内部に玄武岩製の石棺と、王の遺体の一部と思われるミイラを発見した。</div><br /><div>それまで、ピラミッド内で王のミイラが発見された前例はなかったため、その後のピラミッド研究に大いに役立つ世紀の大発見であった。</div><br /><div>ミイラを含めた出土品は、調査のために大英博物館へ運ぶことになった。</div><br /><div>ヴァイスは協力者たちとともに石棺や出土物を持ち出し、船に積み込んだが、不運なことに途中で嵐に遭遇し、輸送船は積荷もろとも地中海に沈んでしまったのだ。</div><br /><div>この事故によって、第3ピラミッドの謎を解明する手がかりは永遠に失われてしまったのである。</div><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kuronokodaiiseki/464958900</guid>
                </item>
        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464942345.html</link>
      <title>（古代文明の謎）第2ピラミッド</title>
      <pubDate>Tue, 02 Apr 2019 18:56:05 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要三大ピラミッドの真ん中にあるのが、クフ王の息子カフラー王が築いたとされる第2ピラミッドだ。カフラーが王になる前には、クフ王の跡を継いだジェドエフラー王がいるが、彼はギザから8キロメートルほど離れたアブ・ロアシュにピラミッドを築き、しかも統治期間が短かったため未完に終わっている。次に王位に就いたカフラー王は再びピラミッドの造営地をギザに戻し、大ピラミッドに劣らない巨大ピラミッドを建てた。第2ピラミッドも、他のピラミッド同様、石灰岩の外装をはぎ取られているが、三大ピラ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a>

概要
三大ピラミッドの真ん中にあるのが、クフ王の息子カフラー王が築いたとされる第2ピラミッドだ。
カフラーが王になる前には、クフ王の跡を継いだジェドエフラー王がいるが、彼はギザから8キロメートルほど離れたアブ・ロアシュにピラミッドを築き、しかも統治期間が短かったため未完に終わっている。
次に王位に就いたカフラー王は再びピラミッドの造営地をギザに戻し、大ピラミッドに劣らない巨大ピラミッドを建てた。
第2ピラミッドも、他のピラミッド同様、石灰岩の外装をはぎ取られているが、三大ピラミッドの中で唯一、頂上付近にわずかながら外装の一部をとどめている。
内部構造は二つの入口とそれぞれの下降通路、副室と玄室という、大ピラミッドでも、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank">大ピラミッド</a>に見られるような複雑な内部構造が造られることはなかった。
<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464942345.html" target="_blank">第2ピラミッド</a>がかつての姿をとどめているのは、外装だけではない。
ピラミッドの東側にある葬祭神殿は損傷が激しいものの、そこから続く参道と河岸神殿は比較的状態がよく、参道脇にたたずむ<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464263620.html" target="_blank">スフィンクス</a>を含めて、ピラミッド・コンプレックスとしての構造をよく保っている。


<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins><strong>概要</strong></ins></span></a></div><br /><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>三大ピラミッドの真ん中にあるのが、クフ王の息子カフラー王が築いたとされる第2ピラミッドだ。</div><br /><div>カフラーが王になる前には、クフ王の跡を継いだジェドエフラー王がいるが、彼はギザから8キロメートルほど離れたアブ・ロアシュにピラミッドを築き、しかも統治期間が短かったため未完に終わっている。</div><br /><div>次に王位に就いたカフラー王は再びピラミッドの造営地をギザに戻し、大ピラミッドに劣らない巨大ピラミッドを建てた。</div><br /><div>第2ピラミッドも、他のピラミッド同様、石灰岩の外装をはぎ取られているが、三大ピラミッドの中で唯一、頂上付近にわずかながら外装の一部をとどめている。</div><br /><div>内部構造は二つの入口とそれぞれの下降通路、副室と玄室という、大ピラミッドでも、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464174062.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins>大ピラミッド</ins></span></strong></ins></span></a>に見られるような複雑な内部構造が造られることはなかった。</div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464942345.html" target="_blank"><span style="color:#0099ff;"><ins><strong>第2ピラミッド</strong></ins></span></a>がかつての姿をとどめているのは、外装だけではない。</div><br /><div>ピラミッドの東側にある葬祭神殿は損傷が激しいものの、そこから続く参道と河岸神殿は比較的状態がよく、参道脇にたたずむ<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464263620.html" target="_blank"><span style="color:#0099ff;"><ins><strong>スフィンクス</strong></ins></span></a>を含めて、ピラミッド・コンプレックスとしての構造をよく保っている。</div><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kuronokodaiiseki/464942345</guid>
                </item>
        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464817636.html</link>
      <title>（古代文明の謎）ペルーの長頭人</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 17:19:10 +0900</pubDate>
            <description>目次1,1928年に発見された長頭頭蓋骨2,2011年の発見1,1928年に発見された長頭頭蓋骨1928年にペルー南岸部の砂漠地帯で発見された「長頭頭蓋骨」は、専門家の調査・分析によってますます謎が深まってしまった。南米大陸には古くからアンデス文明が栄え、発掘場所のペルーの地にも1万年以上も前から人類が暮らしていたとされているが、本格的な分析によってこの長頭頭蓋骨の持ち主がこの地に住んでいた古代人ではない可能性が高まってきた。2,2011年の発見2011年11月、南アメリカの..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">1,1928年に発見された長頭頭蓋骨</a><a href="#2">2,2011年の発見</a>

1,1928年に発見された長頭頭蓋骨
1928年にペルー南岸部の砂漠地帯で発見された「長頭頭蓋骨」は、専門家の調査・分析によってますます謎が深まってしまった。
南米大陸には古くからアンデス文明が栄え、発掘場所のペルーの地にも1万年以上も前から人類が暮らしていたとされているが、本格的な分析によってこの長頭頭蓋骨の持ち主がこの地に住んでいた古代人ではない可能性が高まってきた。

2,2011年の発見
2011年11月、南アメリカのペルーで発見された異形の頭蓋骨ミイラが公開された。
ミイラは、人類学者レナト・ダヴィラ・リケルメが<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464431430.html" target="_blank">クスコ</a>のキスピカンチで発見したものだ。
ミイラの大きさは体長約50センチ。
頭部と目の部分が異様に大きく、形も人間離れしている。
発見者のリケルメは人間ではない、エイリアンだと主張しているそうだ。
ちなみに頭の長い謎の頭蓋骨は、世界各地で見つかっているが、それらは頭の後方が長い。
しかしこの長頭人は上に長く、形が異なっている点が興味深い。
さらなる調査が待たれる。




<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins>1,1928年に発見された長頭頭蓋骨</ins></span></a></span></strong><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#2"><span style="color:#0000ff;"><ins>2,2011年の発見</ins></span></a></span></strong></div><br /><br /><h3 id="1">1,1928年に発見された長頭頭蓋骨</h3><br />1928年にペルー南岸部の砂漠地帯で発見された「長頭頭蓋骨」は、専門家の調査・分析によってますます謎が深まってしまった。<br />南米大陸には古くからアンデス文明が栄え、発掘場所のペルーの地にも1万年以上も前から人類が暮らしていたとされているが、本格的な分析によってこの長頭頭蓋骨の持ち主がこの地に住んでいた古代人ではない可能性が高まってきた。<br /><br /><h3 id="2">2,2011年の発見</h3><br /><div>2011年11月、南アメリカのペルーで発見された異形の頭蓋骨ミイラが公開された。</div><br /><div>ミイラは、人類学者レナト・ダヴィラ・リケルメが<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464431430.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><span style="color:#0099ff;"><ins>クスコ</ins></span></ins></span></a>のキスピカンチで発見したものだ。</div><br /><div>ミイラの大きさは体長約50センチ。</div><br /><div>頭部と目の部分が異様に大きく、形も人間離れしている。</div><br /><div>発見者のリケルメは人間ではない、エイリアンだと主張しているそうだ。</div><br /><div>ちなみに頭の長い謎の頭蓋骨は、世界各地で見つかっているが、それらは頭の後方が長い。</div><br /><div>しかしこの長頭人は上に長く、形が異なっている点が興味深い。</div><br /><div>さらなる調査が待たれる。</div><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kuronokodaiiseki/464817636</guid>
                </item>
        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464817097.html</link>
      <title>（古代文明の謎）スターチャイルド</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 16:38:07 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要メキシコ・チワワにはこんな伝説がある。昔、空から降りてきた宇宙人が村の女性たちと結婚し、数年後、生まれ育った子供たち(スターチャイルド）を空に連れて行った。この伝説の証拠となるかもしれない頭蓋骨が、1940年代に発見された。解剖学者ロイド・パイによると、この頭蓋骨は900年前に亡くなった5～6歳の子供の骨と推定。しかし、目の位置が人間よりも中央によっており、脳の容量は、以上に大きい。パイによればこれは宇宙人の骨かもしれないという。やはりスターチャイルド伝説は真実だ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a>
概要
メキシコ・チワワにはこんな伝説がある。
昔、空から降りてきた宇宙人が村の女性たちと結婚し、数年後、生まれ育った子供たち(スターチャイルド）を空に連れて行った。
この伝説の証拠となるかもしれない頭蓋骨が、1940年代に発見された。
解剖学者ロイド・パイによると、この頭蓋骨は900年前に亡くなった5～6歳の子供の骨と推定。
しかし、目の位置が人間よりも中央によっており、脳の容量は、以上に大きい。
パイによればこれは宇宙人の骨かもしれないという。
やはりスターチャイルド伝説は真実だったのか。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1"><span style="color: #0000ff;"><ins>概要</ins></span></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>メキシコ・チワワにはこんな伝説がある。</div><br /><div>昔、空から降りてきた宇宙人が村の女性たちと結婚し、数年後、生まれ育った子供たち(スターチャイルド）を空に連れて行った。</div><br /><div>この伝説の証拠となるかもしれない頭蓋骨が、1940年代に発見された。</div><br /><div>解剖学者ロイド・パイによると、この頭蓋骨は900年前に亡くなった5～6歳の子供の骨と推定。</div><br /><div>しかし、目の位置が人間よりも中央によっており、脳の容量は、以上に大きい。</div><br /><div>パイによればこれは宇宙人の骨かもしれないという。</div><br /><div>やはりスターチャイルド伝説は真実だったのか。</div><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kuronokodaiiseki/464817097</guid>
                </item>
        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464814691.html</link>
      <title>（古代文明の謎）ヘルメットの宇宙飛行士</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 12:34:20 +0900</pubDate>
            <description>目次宇宙飛行士宇宙飛行士この像は、高さが17センチ、赤見を帯びた砂岩製で、オルメカの巨大人頭像で知られるアメリカ大陸最古のオルメカ文明の神官をかたどったものとされている。しかし、頭部にはヘルメットをかぶり、手には手袋、足はかぎづめ状をしている。目は膨れて吊り上り、とても人間には見えない。これはほんとうに神官なのだろうか。まるで気密服を着た宇宙飛行士のように見えるのだが。この異形の彫像は、現在、メキシコシティのミルトン・アルノ・レオフ夫妻が個人的に所蔵。その由来などの研究を続け..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">宇宙飛行士</a>

宇宙飛行士
この像は、高さが17センチ、赤見を帯びた砂岩製で、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464814139.html" target="_blank">オルメカの巨大人頭像</a>で知られるアメリカ大陸最古のオルメカ文明の神官をかたどったものとされている。
しかし、頭部にはヘルメットをかぶり、手には手袋、足はかぎづめ状をしている。
目は膨れて吊り上り、とても人間には見えない。
これはほんとうに神官なのだろうか。
まるで気密服を着た宇宙飛行士のように見えるのだが。
この異形の彫像は、現在、メキシコシティのミルトン・アルノ・レオフ夫妻が個人的に所蔵。
その由来などの研究を続けているという。



<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins>宇宙飛行士</ins></span></a></span></strong></div><br /><br /><h3 id="1">宇宙飛行士</h3><br /><div>この像は、高さが17センチ、赤見を帯びた砂岩製で、<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464814139.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong><span style="color:#0099ff;"><ins>オルメカの巨大人頭像</ins></span></strong></ins></span></a>で知られるアメリカ大陸最古のオルメカ文明の神官をかたどったものとされている。</div><br /><div>しかし、頭部にはヘルメットをかぶり、手には手袋、足はかぎづめ状をしている。</div><br /><div>目は膨れて吊り上り、とても人間には見えない。</div><br /><div>これはほんとうに神官なのだろうか。</div><br /><div>まるで気密服を着た宇宙飛行士のように見えるのだが。</div><br /><div>この異形の彫像は、現在、メキシコシティのミルトン・アルノ・レオフ夫妻が個人的に所蔵。</div><br /><div>その由来などの研究を続けているという。</div><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,kuronokodaiiseki/464814691</guid>
                </item>
        <item>
      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464814618.html</link>
      <title>（古代文明の謎）コスタリカの石偶</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 12:28:02 +0900</pubDate>
            <description>目次宇宙服？宇宙服？中央アメリカ・コスタリカのディキス川周辺で、異様な石偶が見つかっている。石偶はチューブのようなものをくわえており、それは左肩をこえて背後へ回されている。また、頭部は耳がなく丸くなっている。まるで宇宙服を着ているようである。チューブは背後にある生命維持装置からつながったもの、丸い頭はヘルメット、というわけだ。そう考えると、手足の関節部分も宇宙服のように見える。これは、太古の地球を訪れた宇宙人の姿なのだろうか。なお、ディキス川周辺ではコスタリカの石球もみつかっ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">宇宙服？</a>

宇宙服？
中央アメリカ・コスタリカのディキス川周辺で、異様な石偶が見つかっている。
石偶はチューブのようなものをくわえており、それは左肩をこえて背後へ回されている。
また、頭部は耳がなく丸くなっている。
まるで宇宙服を着ているようである。
チューブは背後にある生命維持装置からつながったもの、丸い頭はヘルメット、というわけだ。
そう考えると、手足の関節部分も宇宙服のように見える。
これは、太古の地球を訪れた宇宙人の姿なのだろうか。
なお、ディキス川周辺では<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464425963.html" target="_blank">コスタリカの石球</a>もみつかっている。
関係があるのかもしれない。




<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1">宇宙服？</a></div><br /><br /><h3 id="1">宇宙服？</h3><br /><div>中央アメリカ・コスタリカのディキス川周辺で、異様な石偶が見つかっている。</div><br /><div>石偶はチューブのようなものをくわえており、それは左肩をこえて背後へ回されている。</div><br /><div>また、頭部は耳がなく丸くなっている。</div><br /><div>まるで宇宙服を着ているようである。</div><br /><div>チューブは背後にある生命維持装置からつながったもの、丸い頭はヘルメット、というわけだ。</div><br /><div>そう考えると、手足の関節部分も宇宙服のように見える。</div><br /><div>これは、太古の地球を訪れた宇宙人の姿なのだろうか。</div><br /><div>なお、ディキス川周辺では<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464425963.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong>コスタリカの石球</strong></ins></span></a>もみつかっている。</div><br /><div>関係があるのかもしれない。</div><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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      <title>（古代文明の謎）気密服を着た土偶</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 12:21:08 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要紀元前300年～紀元後700年頃にかけて栄えた、南アメリカ・エクアドルのハマ・コアケ文化。この時代の遺跡から、奇妙な土偶がみつかった。それは宇宙飛行士が宇宙で活動するときや、潜水士が海底探査するときに身に着ける、気密服を思わせるものだった。同じような土偶はいくつも確認されている。ただ、ハマ・コアケ文化では、人間や動物をありのままにかたどった土偶作りが盛んだった。ということは、この土偶も想像で作られたものではない。このような気密服を着た人物が、地球に来ていたとでもい..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a>

概要
紀元前300年～紀元後700年頃にかけて栄えた、南アメリカ・エクアドルのハマ・コアケ文化。
この時代の遺跡から、奇妙な土偶がみつかった。
それは宇宙飛行士が宇宙で活動するときや、潜水士が海底探査するときに身に着ける、気密服を思わせるものだった。
同じような土偶はいくつも確認されている。
ただ、ハマ・コアケ文化では、人間や動物をありのままにかたどった土偶作りが盛んだった。
ということは、この土偶も想像で作られたものではない。
このような気密服を着た人物が、地球に来ていたとでもいうのだろうか？


<a></a>

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<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1"><span style="color:#0000ff;"><ins><strong>概要</strong></ins></span></a></div><br /><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>紀元前300年～紀元後700年頃にかけて栄えた、南アメリカ・エクアドルのハマ・コアケ文化。</div><br /><div>この時代の遺跡から、奇妙な土偶がみつかった。</div><br /><div>それは宇宙飛行士が宇宙で活動するときや、潜水士が海底探査するときに身に着ける、気密服を思わせるものだった。</div><br /><div>同じような土偶はいくつも確認されている。</div><br /><div>ただ、ハマ・コアケ文化では、人間や動物をありのままにかたどった土偶作りが盛んだった。</div><br /><div>ということは、この土偶も想像で作られたものではない。</div><br /><div>このような気密服を着た人物が、地球に来ていたとでもいうのだろうか？</div><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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      <title>（古代文明の謎）古代コロンビアに宇宙人が飛来！？黄金の神人像</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 12:17:09 +0900</pubDate>
            <description>目次概要概要黄金の飾り物が数多く発見されている南アメリカのコロンビアから、神を象ったとされる黄金像がみつかった。しかし、その姿はまるで宇宙服を身に着けた宇宙飛行士、あるいはロボットのよう。少なくとも人間の姿を現したものとは思えないのだ。そこで、次のようなことは考えられないだろうか。古代のコロンビアに、宇宙服姿の宇宙人が飛来した。彼らの持つ高度な技術を目のあたりにした古代人たちは、彼らを神とあがめたのだ、と。これがロボットだったとしても、神＝宇宙人が現地で使った一種の機械だった..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a>

概要
黄金の飾り物が数多く発見されている南アメリカのコロンビアから、神を象ったとされる黄金像がみつかった。
しかし、その姿はまるで宇宙服を身に着けた宇宙飛行士、あるいはロボットのよう。
少なくとも人間の姿を現したものとは思えないのだ。
そこで、次のようなことは考えられないだろうか。
古代のコロンビアに、宇宙服姿の宇宙人が飛来した。
彼らの持つ高度な技術を目のあたりにした古代人たちは、彼らを神とあがめたのだ、と。
これがロボットだったとしても、神＝宇宙人が現地で使った一種の機械だったと考えれば、納得がいく答えとなるだろう。


<a></a>

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<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1">概要</a></div><br /><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>黄金の飾り物が数多く発見されている南アメリカのコロンビアから、神を象ったとされる黄金像がみつかった。</div><br /><div>しかし、その姿はまるで宇宙服を身に着けた宇宙飛行士、あるいはロボットのよう。</div><br /><div>少なくとも人間の姿を現したものとは思えないのだ。</div><br /><div>そこで、次のようなことは考えられないだろうか。</div><br /><div>古代のコロンビアに、宇宙服姿の宇宙人が飛来した。</div><br /><div>彼らの持つ高度な技術を目のあたりにした古代人たちは、彼らを神とあがめたのだ、と。</div><br /><div>これがロボットだったとしても、神＝宇宙人が現地で使った一種の機械だったと考えれば、納得がいく答えとなるだろう。</div><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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      <title>（古代文明の謎）遮光器土偶</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 12:10:35 +0900</pubDate>
            <description>目次概要宇宙服説概要縄文時代終わりの集落遺跡である、東北地方の亀ヶ岡の遺跡から、1887年、奇妙な姿の土偶が発見された。土偶は縄文人が儀式に使ったものとされるが、ここで見つかった土偶は、横筋の入った目が丸みを帯びた機械的な体をした異様な姿だった。やがて、この土偶は、遮光器土偶と呼ばれるようになった。この土偶の目が丸で、北極圏の人々が氷雪の反射光から目を守るのに使う遮光器というゴーグルに似ていたからだ。宇宙服説この土偶が何をかたどったのかわからなかったので、女神像説や精霊説など..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a><a href="#2">宇宙服説</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-E99D92E6A3AEE79C8CE381A4E3818CE3828BE5B882E69CA8E980A0E4BA80E383B6E5B2A1E587BAE59C9F_E981AEE58589E599A8E59C9FE581B6-2.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-E99D92E6A3AEE79C8CE381A4E3818CE3828BE5B882E69CA8E980A0E4BA80E383B6E5B2A1E587BAE59C9F_E981AEE58589E599A8E59C9FE581B6-2-thumbnail2.jpg" alt="200px-&#x9752;&#x68EE;&#x770C;&#x3064;&#x304C;&#x308B;&#x5E02;&#x6728;&#x9020;&#x4E80;&#x30F6;&#x5CA1;&#x51FA;&#x571F;_&#x906E;&#x5149;&#x5668;&#x571F;&#x5076;-2.jpg" width="200" height="286" border="0" /></a>
概要
縄文時代終わりの集落遺跡である、東北地方の<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464533498.html" target="_blank">亀ヶ岡の遺跡</a>から、1887年、奇妙な姿の土偶が発見された。
土偶は縄文人が儀式に使ったものとされるが、ここで見つかった土偶は、横筋の入った目が丸みを帯びた機械的な体をした異様な姿だった。
やがて、この土偶は、遮光器土偶と呼ばれるようになった。
この土偶の目が丸で、北極圏の人々が氷雪の反射光から目を守るのに使う遮光器というゴーグルに似ていたからだ。

宇宙服説
この土偶が何をかたどったのかわからなかったので、女神像説や精霊説などが唱えらる中、衝撃的な説が発表された。
それが宇宙人説だ。
当時、来日していたロシアの科学評論家アレクサンドル・カザンツェフは、土偶を研究。
1962年、雑誌アガニュークにこれは地球を訪問した、宇宙服を着た異星人をモデルにしたものだと、大胆な仮説を発表。
これをきっかけに現代の宇宙服との共通点が指摘されるようになった。
頭部は通信機つきのヘルメットで、目は宇宙空間を飛ぶ放射線を防ぐグラス、体は宇宙服だという。
なお、未確認情報だが、カザンツェフがロシアに持ち帰った土偶の中に、東部を取り外すと、中から顔が出てきたものがあったという。
これが事実なら遮光器土偶＝宇宙服説を裏づける証拠になる。
さらには、縄文時代に宇宙服を着た何者かが、日本に来ていた可能性も高まるのだ。






<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1">概要</a><br /><a href="#2">宇宙服説</a></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-E99D92E6A3AEE79C8CE381A4E3818CE3828BE5B882E69CA8E980A0E4BA80E383B6E5B2A1E587BAE59C9F_E981AEE58589E599A8E59C9FE581B6-2.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/200px-E99D92E6A3AEE79C8CE381A4E3818CE3828BE5B882E69CA8E980A0E4BA80E383B6E5B2A1E587BAE59C9F_E981AEE58589E599A8E59C9FE581B6-2-thumbnail2.jpg" alt="200px-青森県つがる市木造亀ヶ岡出土_遮光器土偶-2.jpg" width="200" height="286" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/200px-E99D92E6A3AEE79C8CE381A4E3818CE3828BE5B882E69CA8E980A0E4BA80E383B6E5B2A1E587BAE59C9F_E981AEE58589E599A8E59C9FE581B6-2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>縄文時代終わりの集落遺跡である、東北地方の<a href="http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464533498.html" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #0000ff;"><ins><strong>亀ヶ岡の遺跡</strong></ins></span></a>から、1887年、奇妙な姿の土偶が発見された。</div><br /><div>土偶は縄文人が儀式に使ったものとされるが、ここで見つかった土偶は、横筋の入った目が丸みを帯びた機械的な体をした異様な姿だった。</div><br /><div>やがて、この土偶は、遮光器土偶と呼ばれるようになった。</div><br /><div>この土偶の目が丸で、北極圏の人々が氷雪の反射光から目を守るのに使う遮光器というゴーグルに似ていたからだ。</div><br /><br /><h3 id="2">宇宙服説</h3><br /><div>この土偶が何をかたどったのかわからなかったので、女神像説や精霊説などが唱えらる中、衝撃的な説が発表された。</div><br /><div>それが宇宙人説だ。</div><br /><div>当時、来日していたロシアの科学評論家アレクサンドル・カザンツェフは、土偶を研究。</div><br /><div>1962年、雑誌アガニュークにこれは地球を訪問した、宇宙服を着た異星人をモデルにしたものだと、大胆な仮説を発表。</div><br /><div>これをきっかけに現代の宇宙服との共通点が指摘されるようになった。</div><br /><div>頭部は通信機つきのヘルメットで、目は宇宙空間を飛ぶ放射線を防ぐグラス、体は宇宙服だという。</div><br /><div>なお、未確認情報だが、カザンツェフがロシアに持ち帰った土偶の中に、東部を取り外すと、中から顔が出てきたものがあったという。</div><br /><div>これが事実なら遮光器土偶＝宇宙服説を裏づける証拠になる。</div><br /><div>さらには、縄文時代に宇宙服を着た何者かが、日本に来ていた可能性も高まるのだ。</div><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>くろ</author>
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      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464814247.html</link>
      <title>（古代文明の謎）人面彫刻石</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 11:51:24 +0900</pubDate>
            <description>目次概要穴の謎概要この人面彫刻石は、調べれば調べるほど謎と神秘に満ちている。思わずそんな言葉をつぶやいてしまうような石が、1872年アメリカ・ニューハンプシャー州ウィニペソーキ湖岸近くで、偶然発掘された。フェンスの建設中、作業員が粘度の塊をくずしたところ、この石が出てきたという。石の高さ約10センチ、幅約5センチ。石の正面に人間の顔、裏面には三日月と交差した槍、側面にはテントらしいものやトウモロコシのような絵が彫刻されている。この彫刻を作ったのは、古代ケルト人か北アメリカの先..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
目次<a href="#1">概要</a><a href="#2">穴の謎</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/jinmen.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/jinmen-thumbnail2.jpg" alt="jinmen.jpg" width="286" height="359" border="0" /></a>
概要
この人面彫刻石は、調べれば調べるほど謎と神秘に満ちている。
思わずそんな言葉をつぶやいてしまうような石が、1872年アメリカ・ニューハンプシャー州ウィニペソーキ湖岸近くで、偶然発掘された。
フェンスの建設中、作業員が粘度の塊をくずしたところ、この石が出てきたという。
石の高さ約10センチ、幅約5センチ。
石の正面に人間の顔、裏面には三日月と交差した槍、側面にはテントらしいものやトウモロコシのような絵が彫刻されている。
この彫刻を作ったのは、古代ケルト人か北アメリカの先住民族と思われるが、詳しいことは不明だ。

穴の謎
誰が何のために作ったのかわからないものは、世界でも数多く見つかっているが、何故この石がオーパーツと呼ばれるのか？
それは、石に開けられた穴に理由がある。
直径1～2ミリの小さな穴が、石の頂部から底部にかけて垂直にあけられている。
だが、これほどの穴をあけるには、金属ドリルでもなければ不可能だ。
だが、当然、古代には金属ドリルもそれに相当する技術もなかったはずである。
現在、アメリカ国内ではこれと同様の石は発見されていない。
また材質もカルサイトという、非常に珍しいもので、ニューハンプシャー州では産出しないという。
最近では、太古の地球を訪れた宇宙飛行士をかたどったもので、その宇宙人の持っていた技術で作られたのではないか、とする説もある。






<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1">概要</a><br /><a href="#2">穴の謎</a></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/jinmen.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/jinmen-thumbnail2.jpg" alt="jinmen.jpg" width="286" height="359" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/jinmen-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>この人面彫刻石は、調べれば調べるほど謎と神秘に満ちている。</div><br /><div>思わずそんな言葉をつぶやいてしまうような石が、1872年アメリカ・ニューハンプシャー州ウィニペソーキ湖岸近くで、偶然発掘された。</div><br /><div>フェンスの建設中、作業員が粘度の塊をくずしたところ、この石が出てきたという。</div><br /><div>石の高さ約10センチ、幅約5センチ。</div><br /><div>石の正面に人間の顔、裏面には三日月と交差した槍、側面にはテントらしいものやトウモロコシのような絵が彫刻されている。</div><br /><div>この彫刻を作ったのは、古代ケルト人か北アメリカの先住民族と思われるが、詳しいことは不明だ。</div><br /><br /><h3 id="2">穴の謎</h3><br /><div>誰が何のために作ったのかわからないものは、世界でも数多く見つかっているが、何故この石がオーパーツと呼ばれるのか？</div><br /><div>それは、石に開けられた穴に理由がある。</div><br /><div>直径1～2ミリの小さな穴が、石の頂部から底部にかけて垂直にあけられている。</div><br /><div>だが、これほどの穴をあけるには、金属ドリルでもなければ不可能だ。</div><br /><div>だが、当然、古代には金属ドリルもそれに相当する技術もなかったはずである。</div><br /><div>現在、アメリカ国内ではこれと同様の石は発見されていない。</div><br /><div>また材質もカルサイトという、非常に珍しいもので、ニューハンプシャー州では産出しないという。</div><br /><div>最近では、太古の地球を訪れた宇宙飛行士をかたどったもので、その宇宙人の持っていた技術で作られたのではないか、とする説もある。</div><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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      <link>http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/article/464814139.html</link>
      <title>（古代文明の謎）オルメカの巨大人頭像</title>
      <pubDate>Tue, 26 Mar 2019 11:41:51 +0900</pubDate>
            <description>目次概要謎概要紀元前1200年～紀元前400年ごろにかけて、メキシコ半島を中心に栄えたオルメカ文明は、アメリカ大陸最古の文明とされる。この土台文明を代表する最大のミステリーが、オルメカの巨大人頭像だ。巨大な玄武岩に人の頭部を掘ったもので、体は造られていない。最大のものは高さ340センチもあり、重さは約50トンもある。現在までに17基がジャングルの中から発見されている。謎人頭像が不思議なのは、使われた玄武岩が、この像が発見された地域ではとれないことだ。玄武岩は、80キロ先にある..</description>
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目次<a href="#1">概要</a><a href="#2">謎</a>
<a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1.jpg" target="_blank"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1-thumbnail2.jpg" alt="220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1.jpg" width="220" height="147" border="0" /></a>
概要
紀元前1200年～紀元前400年ごろにかけて、メキシコ半島を中心に栄えたオルメカ文明は、アメリカ大陸最古の文明とされる。
この土台文明を代表する最大のミステリーが、オルメカの巨大人頭像だ。
巨大な玄武岩に人の頭部を掘ったもので、体は造られていない。
最大のものは高さ340センチもあり、重さは約50トンもある。
現在までに17基がジャングルの中から発見されている。

謎
人頭像が不思議なのは、使われた玄武岩が、この像が発見された地域ではとれないことだ。
玄武岩は、80キロ先にあるトゥシュトラ山から運ばれてきたことがわかっているが、車輪のようなものがない時代に、これほど巨大で思い石をどうやって運んだのか。
何か特別な技術でも使ったのだろうか。
さらに、掘られた顔にも謎がある。
人頭像は当時の支配者の姿を現したものだとされるが、丸顔で鼻が低く、唇も厚い。
これはアフリカ系人種の特徴なのだ。
この遺跡から発見された王や神官の像は、当時、アメリカ大陸にいたモンゴロイド系人種の顔をしているのに、人頭像だけ違っている。
いったいなぜなのか。
そこで考えられたのは、人頭像はオルメカ文明人が造ったものではなく、彼らよりさらに古い超古代の文明人、もしくは地球を訪れた宇宙人が、何らかの目的で製作したものだ、という説だ。
だとすれば、この人頭像の顔は、彼らの姿を映したものだといえるのだが。






<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<div style="text-align: left; padding: 10px; width: 90%; background: #ccffcc; border: 2px solid #cccccc;"><span style="font-size: 18pt; background-color: #ffcc00;"><strong>目次</strong></span><br /><a href="#1">概要</a><br /><a href="#2">謎</a></div><br /><div><a href="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://kuronokodaiiseki.up.seesaa.net/image/220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1-thumbnail2.jpg" alt="220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1.jpg" width="220" height="147" border="0" onclick="location.href = 'http://kuronokodaiiseki.seesaa.net/upload/detail/image/220px-CabezaColosal1_MuseoXalapa_v1.1-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><br /><h3 id="1">概要</h3><br /><div>紀元前1200年～紀元前400年ごろにかけて、メキシコ半島を中心に栄えたオルメカ文明は、アメリカ大陸最古の文明とされる。</div><br /><div>この土台文明を代表する最大のミステリーが、オルメカの巨大人頭像だ。</div><br /><div>巨大な玄武岩に人の頭部を掘ったもので、体は造られていない。</div><br /><div>最大のものは高さ340センチもあり、重さは約50トンもある。</div><br /><div>現在までに17基がジャングルの中から発見されている。</div><br /><br /><h3 id="2">謎</h3><br /><div>人頭像が不思議なのは、使われた玄武岩が、この像が発見された地域ではとれないことだ。</div><br /><div>玄武岩は、80キロ先にあるトゥシュトラ山から運ばれてきたことがわかっているが、車輪のようなものがない時代に、これほど巨大で思い石をどうやって運んだのか。</div><br /><div>何か特別な技術でも使ったのだろうか。</div><br /><div>さらに、掘られた顔にも謎がある。</div><br /><div>人頭像は当時の支配者の姿を現したものだとされるが、丸顔で鼻が低く、唇も厚い。</div><br /><div>これはアフリカ系人種の特徴なのだ。</div><br /><div>この遺跡から発見された王や神官の像は、当時、アメリカ大陸にいたモンゴロイド系人種の顔をしているのに、人頭像だけ違っている。</div><br /><div>いったいなぜなのか。</div><br /><div>そこで考えられたのは、人頭像はオルメカ文明人が造ったものではなく、彼らよりさらに古い超古代の文明人、もしくは地球を訪れた宇宙人が、何らかの目的で製作したものだ、という説だ。</div><br /><div>だとすれば、この人頭像の顔は、彼らの姿を映したものだといえるのだが。</div><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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      <author>くろ</author>
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